The Tokyo Korean Christian Church in Japan
謙虚なわざ (09.07.ホサナ聖歌隊・賛美写真付)
私たちは皆、神様のときを待ち望む者として招かれています。
そのときは、ラザロの復活のようにドラマチックでしょうか ?
あるいは、人知れず静かに現れるのでしょうか ?
誰にも分かりませんが、
皆それぞれの方法で待っています。
試練の中で待つことは、大変です。
状況を無理矢理動かそうとして、
苦しみ悲しみから離れようとして、
狂ったように動き廻ります。
あるいは、すべてを壊して逃げ出してしまいます。
私たちは皆、苦しみの中にじっとしていられません。
しかし、あの方は、違いました。
その状況に留まり、動かず、
祈りと神様への従順さでご自身を明渡されました。
私たちは、みな劇的な変化にあこがれています。
私たちは、目を見張るようなことが大好きです。
イエス様の復活も、
私たちのイメージの中では、
ベートーベン第九の合唱の中で、光輝いて現れたように思っています。
子供たちの教会学校での先生のお話は、いつも盛り上がります。
子供たちも感動的なシーンが大好きです。
しかし、
現実は、それとは全く逆です。
イエス様は、ほんの数人に、
しかも、幽霊と思って怖がっる人々に現れました。
エマオ途上の弟子たちは、パンを割くことで示されました。
閉め切った部屋の中の弟子たちは、はじめ幽霊と思い恐れました。
ガリラヤ湖畔の弟子たちは、焼魚を一切れ食べることで示されました。
イエス様の復活は、現象としてはとても謙虚で小さいものでした。
ここに神様の大きな復活の神秘があります。
主の光の中で、
私たちは、復活した者として招かれています。
「キリストと共に葬られ、~、キリストと共に復活させられたのです。」コロサイ2.12
私たちは、やがて訪れる私たちの復活を待ち望みます。
しかし、
それは、すでに私たちの中で起こったことでもあります。
手にした者だからこそ、やがて訪れるそれを忍耐をもって待つことができます。
神様の神秘は、待つように招かれるその一部が、
すでに与えられていることにあります。
私たちの待つことは、
遅れた路線バスをあてもなく待つこととは違います。
私たちの中にすでに居られる方を待ちます。
私たちの中ですでに始められたことを待ちます。
私たちの復活は、神様からのプレゼントです。
とても素晴らしいものですが、とても小さく謙虚です。
大きな変化でも、突然の変化でもありません。
私たちの心の貧しく弱い、
よく耕された地に、
小さな種として蒔かれています。
私たちは、この小さな変化を見落とさないようにしましょう。
私たちに示される神様のわざは、いつも小さく謙虚です。
主日の礼拝や祈祷会の中に、それを心待ちする中に、
朝夕の祈りの中に、
兄弟姉妹の何気ない交わりの中に、
毎日の小さな感謝の中に、
教会の中に…。
神様の現れは、いつも小さく謙虚です。
頬を撫でる「さわやかなそよ風」のように…
「静かにささやく声」(1列王19.12) のように…
追伸、08.09.07.ホサナ聖歌隊の賛美写真を添付しました。
携帯写真なのでこれが限界でした。
写真は、ぼけていますが聖歌隊の心はハッキリしています。シャローム
■Attached file: 2008.09.07 ホサナ礼拝賛美 1.jpg
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