The Tokyo Korean Christian Church in Japan
キリストの軽い荷
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」マタイ18.21~22
私たちは、他の人のためにありたいとゆう思いがありまが、いろいろな要求は、その思いをさえぎります。
私たちの愛は、いつも条件付きです。
私たちは、完全な愛を渇望しますが、お互い相手の望むとおりの愛を与え合うことはできません。
私たちは、そのことを許し合わなければ生きてゆけない存在です。
私たちは、神様から「七の七十倍まで」つまり完全な赦しを与えられました。
しかし、私たちは、それを本当に受け入れているのでしょうか… ?。
「ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
~一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
しかし、返済できなかった~主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、
~(そして)借金を返すまでと牢に入れた。~主君はその家来を呼びつけて言った。
『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
~主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。」マタイ18.23~34
私たちは、神様から完全な赦しを頂いているのに、他の人を許すことができないままでいます。
「許すこと」には、二つの側面があります。
「許しを与えること」と「許しを受け入れること」です。私たちにとってどちらとも難しいことです。
許しがないと私たちは、そのことに縛られたままです。
他の人を許すとゆうことは、その人から心が解放されるとゆうことです。
怒り、苦しみ、復讐心を取り除き、自ら侮辱(ぶじょく)されたものとゆう重荷から解放されることです。
私たちが他の人を許さないでいる限り、私たちは、その人を重荷として引きずってしまいます。
私たちは、いつまでも怒りに固守し、自らを傷つけられたものとする誘惑にさらされます。
私たちは、他の人や自分自身を解き放たねばなりません。それは、神の子としての自由への道です。
私たちは、みな傷ついています。また、傷ついた記憶を持っています。
私たちを傷つけるのは、しばしば私たちが愛した人、私たちを愛してくれた人たちです。
ですから、許すことは、私たちにとって本当に不可能のように見えます。
しかし、私たちの内にいて下さる聖霊様は、傷を乗り越える恵みを与えてくださいます。
そして、「あなたは、すでに赦されているのですよ。」と優しく語ってくださいます。
許しは、呪いを祝福に変え私たちを癒しに導きます。
私たちは、神様からの赦しを本当に受け入れたとき、他の人を許す内なる自由を手にします。
逆を言えば、神様からの赦しを受け入れてないとき、他の人を許すことはできないままにいます。
イエス様は、私たちが神様の愛と赦しを完全に受け入れるようにと願っています。
そのために私たちは、他の人を許すことを真剣に求めなければならないのです。
私たちの他の人を許せない心とは、裁いたり、非難したりする心です。
イエス様は、それを手放すように、そして謙虚で柔和な心を求めるように招かれています。
人を裁くことは、耐え難い大きな重荷です。私たちがつぶされそうな、どうにもならない重荷です。
自分では、どんなに頑張っても降ろせません。
この重荷を降ろせるのは、「キリストの軽い荷」を負うときだけです。
私たちは、自分を「自分の仕事、働き、財産、所有物、人の評価」と考える限り、
私たちの心は、人に対する裁き、非難の思いで一杯になってしまいます。
私たちは、他人からどう裁かれ、他人をどう裁くかにほんろうされてしまいます。
もがけばもがくほど、その中に引きずり込まれ、結果自分で自分を裁くことになってしまいます。
これらの思いから自由になるのは、
私たちがとれだけ神様の無限の愛に自分を置いているか、受け入れているかにかかっています。
人を裁くことの重荷と人から裁かれることの恐れを払拭(ふっしょく)するのは、神様の愛だけです。
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」マタイ7.1
神様の裁きは、神様の愛に対する私たちの信頼の欠如をそのまま現しています。
このみ言葉の前後にあるのは、神様の愛についてのみ言葉です。このみ言葉の意味がここにあります。
天の父の愛を受け入れられているときだけ、私たちは、人を裁く重荷から解放されるのです。
天の父の愛を経験したものに、人を裁かねばならないとゆう思いを持つことは出来ません。
私たちの心の中に律法学者やパリサイ人がいて、いつも私たちを訴えます。
そのたびに私たちは、イエス様の足元にすがります。
「重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。」マタイ11.28
今日もイエス様は、私たちを招かれています。
この重荷を降ろせるのは、「キリストの軽い荷」を負うときだけです。
追伸、最近文章が長くなり皆さんに負担をかけていること反省しています。これから少しずつ短くします。
シャローム
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