The Tokyo Korean Christian Church in Japan
「一人で行きなさい」とは、言いません
「人の行かない 自分だけの道を いきなさい。
多くの人が行く 広い道をさ避け
曲がりくねった細い道を 一人で行きなさい。
そこに真の美しさがあります。
その道こそ 神の道です。」
(絵本「アッシジの光」葉 祥明 著より)
私の好きな絵本の中の一節です。
私たちがイエス様を信じてからの信仰生活は、狭い道であり、狭い門です。
聖書は、「狭い戸口から入るように努めなさい」ルカ13.24 と言います。
狭い門に入って、険しい道を歩いてゆくのが信仰生活です。
私たちは、その道、その門を一人分の幅しかなく、
孤独な道、孤独な門のように思っています。
なぜなら神様は、どの人にも独特な仕方で招かれるからです。
ある意味それは、事実のように思われます。
しかし、私たちは、誰もが寂しい孤独の道を歩いているのでしょうか。
先日の祈祷会のときのこと、
「フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。
「聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持つ方、この方が開けると、
だれも閉じることなく、閉じると、だれも開けることがない。
その方が次のように言われる。
「わたしはあなたの行いを知っている。
見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。
あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった」
黙示録3.7~8
このみ言葉を読んでいるとき、考えてもいなかった思いが胸の中に湧き上り、
当時のフィラデルフィアの聖徒たちの姿が心の中に強く迫ってきました。
今生きている私たちだけがこの信仰を与えられたのではありません。
私たちは、信仰の先人たちの大きな流れの中にいることに気づきます。
霊の目を開いて見れば、
私たちたちは、一人で狭い信仰の道を歩いているわけではなく、
多くの先人たちが雲のように私たちを取り囲み、
私たちの足元には、多くの先人たちの足跡が残っています。
私たちは、彼らによって踏み固められた「しっかりした道」を歩いているのです。
そして、私たちも後に続く者たちのために、この道を踏み固めて歩くよう招かれています。
常識的な場から離れるとき、
私たちは、お互いが旅の途上にある仲間であることに気づきます。
神様の呼びかけに聞き入るとき、
皆それぞれ異なる背景を持ちながら、
キリストの弟子とゆう共通のあり方の内に集められた旅の仲間です。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」マタイ28.20
私たちは、道なかばの巡礼者であり、キリストと共にでなければ歩けない、
そして、神様の恵みなしには生きてゆけないみ国を目指す罪人なのです。 シャローム ■Attached file: 一人で行きなさい.jpg
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