The Tokyo Korean Christian Church in Japan
キリストの息吹 (いぶき)
「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」ヨハネ1.5
光は、暗闇の中に入ろうとします。
私たちの心の中には、闇の部分があります。
光は、その闇の中に入ろうとます。
暗闇の中で私たちは、光を知りました。
暗闇の中で人は、光の恵みに気づきます。
自分の闇を無視する人は、光にも気づきません。
自分は神様に出会う価値がないと考えるとき、
自分を閉ざし、光が差し込んで来るのを拒んでしまいます。
そのとき、光は、それ以上中に入ることはできません。
光と真実を願うのも私たちの闇です。
そして、ほんの少しの隙間からでも入るのが光です。
神様に会う価値の無い者に会ってくださるのがイエス様です。
イエス様が洗礼を受けられたとき、み霊が天から降りて来られました。
「聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。 」ルカ3.22
科学者ルカは、伝えています。
同じように、
み霊様は、私たちの中にも入ろうとされています。
それも少しだけでなく十分に、そして深く入ろうとされています。
私たちの中に入ろうと望まれているのは、神様の側です。み霊様ご自身です。
パウロは、言います。
「キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」(エペソ4.13) と。
私たちにとって全く(!)不可能(!)と思えるこの約束は、
神様の側でそれをしようと私たちに望まれれているようです。
主体は、私たちにではなく神様の側かも知れません。
私たちの努力ではなく天の父の愛と慈しみにあります。
イエス様は、私たちと同じようになることで、
私たちが、イエス様と同じようになれるようにして下さいました。
「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、
「水を飲ませてください」と言ったのがだれであるか知っていたならば」ヨハネ4.10
サマリアの女に言われたイエス様は、私たちにも同じように言われます。
イエス様は、私たちの方から「生ける水」を求めなさいと言われます。
イエス様は、私たちに「神の賜物」を知ることを望まれます。
神様の賜物は、私たちが望む地上の宝のようなちっぽけなものではありません。
「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネ4.14
私たちは、永遠の命の価値を理解していません。
私たちは、自分の中に神様の泉のあることを知りません。
しかし、イエス様が与える水を飲むならば、私たちの内に神様の泉が湧き出ると言われます。
その場所で、天の父は、私たちに多くの実を結ばせようとされます。
私たちが自分でその実を結ぶのでなく、天の父がそうすると言われます。
10月1日の水曜祈祷会のメッセージで、
黙示録の14万4千人の聖徒になる3つの条件が話されました。
1.肉体的貞潔、霊的貞潔 2.み言葉への完全な従順 3.神と人の前に正しいこと。
これを聞きながら「私には無理だ」と思いました。できないと感じました。
そして、悲しい金持ちの青年の話が頭をかすめました。
「その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。」マルコ10.22
私も悲しみながら立ち去るのでしょうか…。
しかし希望は、あります。
「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」(マルコ10.27)と。
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」マルコ10.25
神様は、針の穴にらくだを通すことのできるお方だと信じます。
自分にできることをしているあいだは、まだまだ本当の信仰ではないのでしょう。
できないことを神様に希望をおいて歩むのが信仰なのでしょう。
考えてみれば聖書の命令は、私にとってできないことだらけです。
ここから、信仰が始るのかも知れません。
光は、暗闇の中に入ろうとしています。
こうして、キリストの霊が私たちの内で「息づかれ」ます。
私たちは、天の父の息吹(いぶき)を深く吸い込みます。
その息遣いにより、私たちは、天の父の命の一部となります。
イエス様の息吹(いぶき)を与えられ、
イエス様は、私たちにとって自分の呼吸(息)と同じぐらい近い方となられました。
この息吹によって私たちは、天の父と子なるイエス様の聖なる関係の一部とされました。
この息吹によって私たちの魂は、生かされています。
教会は、天の父の息吹の満ち満ちたところです。
そこで私たちは、キリストの息吹を胸いっぱい吸い込みます。
この息吹なしに私たちの魂は、苦しくて生きてゆけません。
主日ごと、祈祷会ごと、祈るごとに私たちの中で息を吹き返す私たちの魂の鼓動が聞こえてきます。
追伸
すべての人に光と闇が混在します。
生きていれば、必ず心の傷をうけます。
それを避けることは、不可能です。
それは、私たちの人生の一部だからです。
しかし、
その傷を見つめあいその意味を知れば回復は可能です。
葛藤を分ち合うことによって癒され、
私たちは、何者で、どこに向かっているかがはっきりしてきます。
こうして私たちは天の父の家に帰る旅を共に手をたずさえて進めることができますから感謝です。
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