The Tokyo Korean Christian Church in Japan
神様が会われるところ
今日、東京教会に激震が走りました。
私たちの愛し尊敬する 呉 大植 牧師 のことです。
多くの人々が動揺し心を痛めました。
不安と恐れが私たちを虜(とりこ)にし重い空気に包まれました。
しかし、祈りと賛美の中で、メッセージの中で、礼拝の中で、
天の父は、私たちを励まし支えあう勇気を下さいました。
「わが子よ、
主の鍛錬(たんれん)を軽んじてはいけない。
主から懲(こ)らしめられても、力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛(きた)え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
あなたがたは、これを鍛錬(たんれん)として忍耐しなさい。
神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。
いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。」 ヘブライ人への手紙 12.5~7
天の父は、一千人以上の信徒をいっせいに激しく揺(ゆ)すぶられました。
私たちは、涙の中で小さな信仰を握り締めて、支え合って立ち上がろうと決心しました。
「神様、不信仰な私たちをお赦し下さい。
心に不安を抱き、あなたを完全に信頼しきれない惨めな私たちでした。
私たちは、どんな試練の中にあってもあなたに信頼することを選び取ります。
どうぞ聖霊を東京教会から取り去らないで下さい。
あなたを愛しています。アーメン」
「天の父は、私たちの益となるように、神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられています。」
ヘブライ人への手紙 12.10より
神様が会われるところ
「それゆえ、わたしは彼女(私たち)をいざなって荒れ野に導き、その心に語りかけよう」ホセア2.16
私たちの心の中には、荒れ野があります。
そこは、寂しく孤独なところ…。
全てから離され、貧しくさせられるところ。
この貧しさの中で神様は、私たちと出会い語りかけて下さいます。
荒れ野は、水も食べ物もありません。
絶望だけが横たわります。
すべての道がとざされ、すべてが不可能に見え、
すべての人間的愛情から隔離され孤独の中にあるとき、
あの方に出会います。
「神様にとって不可能は、ありませんよ。」…と優しい声が聞こえてきます。
すべての不確実さの中にあって、
あの方がそこに居てくださり、見守ってくださるとゆう確かさへと招かれます。
私たちは、この確かさの中で生かされています。
あの方は、言われます。
「わたしは、どのバアルの名をも彼女(私たち)の口から取り除く。
もはやその名が唱えられることはない。」ホセア2.19.
私たちが神として敬っているもの。
人間的愛欲、お金、名誉、名声、友情…etc。
時には、「教会のコミュニティー」でさえも。
私たちが愛着し、執着するすべてのもの…。
それなしには、生きてゆけないと思うすべてのものを取り除くといわれます。
その上で、あの方は、私たちと永久(とこしえ)の約束を結ぶといわれます。
「わたしは、あなたととこしえの契(ちぎ)りを結ぶ。
わたしは、あなたと契りを結び正義と公平を与え、慈しみ憐れむ。」ホセア2.21
私たちは、キリストの祝福を選び取るように招かれています。
しかし、そのためにはこの世の執着を捨てなければなりません。
天の恵みか、この世の甘美な快楽か。
私たちには、この世の執着を捨てる力はありません。
甘美な快楽を忘れられないままにいます。
そんな私たちに対して、天の父の「愛情一杯」の試練が私たちを訓練します。
私たちの人生には、「のろい」と「祝福」が用意されています。
私たちは、「のろい」の中で嫉妬し、妬み、恨み、怒り、絶望を体験します。
逆に、私たちは、「祝福」の中でみ国の平安をいただき、心満たされます。
そして、永遠の神様の命の一部とされます。
私たちは、「のろい」と「祝福」のどちらかを選び取らなければなりません。
多くの人々がイエス様の前に「のろい」の人生を引きずって行きました。
目の不自由な人、中風の人、口のきけない人たち、重い皮膚病の人たち…。
これらの人々は、
単に体の不自由や悲しみを持ってきたのではなく、
深い絶望を引きずって持ってきました。
「のろい」の人生の中にあって息絶え絶えにイエス様にすがった人々でした。
イエス様は、深い洞察力で彼らの苦悩のすべてを見られました。
イエス様は、これらの人々に深い哀れみを示されました。
内臓から湧き上がる深く激しい哀れみです。
私たちは、のろいと絶望の中にいました。
イエス様は、私たちの損なわれた人間性をのろいから祝福へと変えてくださいました。
絶望から希望へ、死から命へ。
イエス様は、私たちの損なわれた状態を体験し、私たちのために罪となられました。
「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。
わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」Ⅱコリント5.21
私たちは、イエス様の哀れみによって癒されました。
イエス様によって罪許された者が、他人の罪を裁くことはできません。
イエス様によって負債を許された者が、他人の負債を今自分に返済しろとは言えません。
私たちは、社会の中にあって、教会の中にあって、
罪許された者、負債を許された者として生かされています。
いまさら、他人の罪を裁いたり、他人の負債を自分に返済しろと言うのは、
神様から見たらまるで「まんが」です。「お笑い話」です。
私たちは、いつも笑い話の主役です。
「愛するイエス様。
私たちにきよい心を造り、
ゆるがない霊を私たちのうちに新しくしてください。
私たちをあなたの御前から投げ捨てず、
あなたの聖霊を、
私たちから取り去らないで下さい。」詩篇51.10 より
追伸
9月24日の水曜祈祷会のメッセージの中で、
黙示録の「666」の意味を説明するとき、呉 大植 牧師が言われました。
「いつまでも私が皆さんと一緒に居られるわけではありません。
ですから早く神様のみ心を悟ってください」と。
私は、この言葉を聞いて不安になりましたが、すぐに忘れてしまいました。
今、この言葉が心に思い返されます。
私は今この時、神様と呉 大植 牧師に心から感謝しています。
私が東京教会に来てから1年と少しですが、言葉で言い尽くせない大変多くの恵みを頂きました。
多くの癒しと祝福を頂きました。
今は、静かに呉 大植 牧師のために祈ります。
神様が21世紀の偉大な預言者の一人として呉 大植 牧師を祝福し用いてくださいますように。
呉 大植 牧師様。本当にありがとうございました。
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