The Tokyo Korean Christian Church in Japan
私たちの隣り人
「生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、
あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、
あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。」申命記30.19~20
私たちは、天の都を目指す巡礼者とし、正しい方向に向かって旅をしていると思います。
しかしその現実は、なんとゆう混乱でしょう。
自分のやり方では、うまくいかないことは認め、天の父を頼ることを告白しながらも、
天の父の愛を信頼するまでには、またまだほど遠いのです。
自分は、いまも神の息子、娘と解っているものの、
天の父の息子、娘と呼ばれる資格がないと自分に言い聞かせています。
悔い改めはあるものの、完全な赦しを与えて下さる父の愛に照らされたものではありません。
私たちの中の天の父への想いに、厳しく裁く神とゆうイメージがあります。
このイメージが私たちの中に、罪悪感を感じさせ、不安にさせ、自己弁解の想いを与えます。
私たちの霊的生活の中で困難なことの一つに神様の赦しを受け入れることがあります。
私たちの中には、新しく生れるのを拒み、罪にしがみつかせる何かがあります。
私たちの心の中の闇があまりにも深いので、それを克服できないことを言い訳する私もいます。
私たちは、神の息子、娘として回復されることを本当に願っているのでしょうか ?
私たちは、徹底的に新しく生れることを信じているのでしょうか ?
私たちは、私たちの中に深く根を張る神様に対する反逆の想いを引き裂き、
神様の愛に自分の全てを完全にゆだねる覚悟を本当に願っているのでしょうか ?
天の父の家に帰る道のりは、修練の旅としなければならないのでしょう。
その修練とは、天の父の愛と赦しを完全に受け入れることです。
「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」マタイ18.3
イエス様は、私たちに子供のままでいるようにと言っているのではなく、
子供になりなさいと言っておられます。
意識的な選択によって第二の純真な状態を選ぶようにと言われます。
数年前のこと私は、……
霊的な意味で天の父から与えられたものをすっかり失い、祈ることもできずにいました。
自分の想いがどれだけ自己破壊的であるかを知りながらも、
愛に飢えた思いに振り回され、偽りの自分自身にどうにもならなくなっていました。
自己破壊を選ぶか、あるいは探し求めている愛が現実に存在すると信頼するか、
選択を迫られていました。
私は、心に深い傷を負い絶望の中に倒れ息も絶え絶えでした ……。
寂しい道を一人歩いていたとき突然私は、見知らぬ者たちに襲われました。
服をはぎ取られ、傷を負わされ、半殺しにされてしまいました。
私は、ぐったりしたまま道端に置き去りにされました。
たまたま牧師が通りかかりましたが、私を見ると、道の向こう側を通って行ってしまいました。
次に、教会の人も通りかかりましたが、同じように道の向こう側を通って行ってしまいました。
ところが、そこにあの方が通りかかり、そばに来ると、私を見て憐れに思い、
近寄って私の傷にオリブ油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、
ご自分で背負い、宿に連れて行って介抱してくださいました。
翌日、銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言いました。
「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに寄って払います。」
ルカ10.30~36 参考
こうしてあの時からイエス様は、私の隣り人になってくださいました。
「あなたの隣人を愛しなさい」と言われたイエス様は、
私たち全ての隣り人になってくださいました。
私たちにとって隣り人を愛する第一義的意味は、イエス様を愛することだと思います。
全ての人の「隣り人」になってくださいイエス様によって
私たちは、すべての人を愛するように招かれています。
こうして、「隣り人を愛せよ」ということと「神様を愛せよ」とゆうことは、
イエス様によって一つのこととされました。
私たちにとって神様の愛と赦しを受け入れることは、そうたやすいものではありません。
しかし、隣人のイエス様の愛と赦しを受け入れることは、すぐに可能なことです。
ナルドの香油を注いだマリアをはじめ、イエス様に従った弟子たちのように…。
この世は、私たちに競争原理を押し付けてきます。
政治、経済、教育、仕事、生活 etc.あらゆるところで競争が私たちを支配します。
しかし、イエス様の歩まれた道は、競争でなく憐れみの道でした。
競争社会に生きる私たちは、どうしたら「憐れみ」の生活が出来るのでしょうか。
それは、私たちの良き隣り人となってくださったイエス様の中にしかありません。
「憐れみ」は、道徳的規範ではなく天の父の愛や、隣人への愛へとつながる霊的なものです。
「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」ルカ6.36
人を羨(うらや)んだり、自分以外のものにはなろうとせず、自分は自分のままでいいのです。
そのままの私たちを神様は、愛していてくださいます。
掛け替えのない大切なものとして…。
今日も私たちの心の中では、いつものように天の軍勢と闇の軍勢が戦っています。
しかし、なかなかそれに気づかないのも現実です。
気づかないうちに負けてしまっています。
知らず知らず、ゆうつになったり、心が暗くなったりしてしまいます。
そして、祈りから遠ざけられてしまいます。
私たちの心の中には、私たちの目をくらます霧のなんと多いことでしょう。
私たちは、私たちを苦しめるものの正体を見きわめなければなりません。
そうするとき、私たちを苦しめるものは幻想にすぎないことに気がつきます。
聖霊の風の前では、闇の思いや心の霧は、一気に吹き飛ばされてしまいます。
私たちは、この世にある限りおそらく思い煩いから自由になることはないでしょう。
しかし、そのたびに神様の愛に立ち返るように招かれています。
祈りのなかで、自分の思い煩いから心の内の深みへと意識を移すとき、
出来るだけ集中してゆっくりと祈るとき、
祈りが思いのレベルからその奥の魂のレベルまで届くとき、私たちは、癒しの力を発見します。
その時、主の祈り、使徒信条、詩編23編、他の詩編は、私たちを助けてくれます。
心からの祈りが癒しをもたらします。
あなたの上に天の父の平安と恵みがありますように。シャローム
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