The Tokyo Korean Christian Church in Japan
ちっちぇーな。僕って・・・
昨日は、家で洗濯をしていました。
普段はあまりやりませんけど、家内が用事で国へ帰っているし
ファッションに敏感になってきた中2息子の着替え溢れが一助し、
洗濯機がふた締めができないほどにもなっていたから。
よし、家内が帰ってくる前にやっておこう。喜ばせよ。と思っての洗濯でした。
ピーっと脱水も終わったよとの音を聞いて
洗濯ハンガーに一枚一枚掛けていたところ
数十個ぶら下がっている洗濯ばさみ中のひとつがバサミ半分欠けていて使えなくなっていました。
ふっと、先ほどベランダで見たわ。その半分を。。
ベランダに走りとってきたバサミ半分を掛け戻したら、キチンと機能するようになりました。
出来た!使えなくなったモノを直したー!
なんとなく分からない満悦感が湧いて来て、上機嫌になりました。
家事もやってみると、楽しいわ。。
この1週間ずーっとの朝早起きでの息子弁当作りや
外食もせずキチンと家庭料理をし、片付けまで。これって、思ったより達成感があるな。。
と思い、もしや僕は神経を使う会社勤めより
このような小さなことにこんなに喜びを感じたり
寝起きも悪い自分が、早朝から息子のためにお弁当をつくる。炊事や掃除もする。
格別な達成感と、人の為になった満足感が。。
最近仕事などではとても感じられないこのいい感じ。達成感。
良いねーと思いました。
家中で感じる家事からの、このかけらの幸せ。
競争もない。周りの目線やら、目標やら、人のパフォマンス審査やら、
自分の思想やらに優劣をつける・つけられる必要もなく、
気のままに誠心誠意を込められるんだ。
洗濯ばさみをはめて喜んだ自分に ”人間、ちいちぇー!”と思いながらも。すごく楽しんでた。
僕は、今40代で、IT関係の会社でそこそこの職位や給料を貰え
好きになったゴルフも90を切ったり、小さい楽しみが弾んできたところでもある。
このままのスタンスで、別状なく維持さえすれば、
平凡でありながら、小さく感じて小さなものに感謝を込めて生きられれば、
それもまたいい人生じゃないか。
世の中でたくさん戦って勝ち取るモノを欲しがる必要もない。そりゃ格好いいものなんかじゃない。
という考えも最近、数回してきた。
韓国でも日本に来ての数年間も、自分はエリートの一人であるとの意識がとても強かった。
選ばれた家庭環境や教育を受けられたんだなーと。
ある場面では自分の能力で勝ち取ってたんだ。自分はある面ではすごいし、より凄くなれるんだと思っていた。
日本の博士過程末期での失敗すらなかったら、
いまごろ順風満帆な人生キャリアにもなっていたはずだと。。
それが、博士学位をとれず、韓国や日本での格好いいビジネスキャリアも展開できず、
一時期は、ものすごく落ち込んでいて、自分自身の心に負けっぱなしで。。
神からも遠ざかり、教会でも祈りすらまともにできず。無力感で。。
今だに当時の暗い影で悩まれるほどでいました。
いつも何かに、うらみをぶっつけ続けていて。
それ程がようやく落ち着いたのか、または人間小さくなってしまったのか
大きい目標と共にチャレンジしつつけて来た自分自身の性質がすっと変わり、このころは
本当に人間が小さくなって、情熱さえもが吹っ飛んだような気もする。なんとなく。
会社での仕事ストレスも適当に吹き飛ばし、危険や非難を受ける場面を
要領よく避け抜ければいいのだ。。
リスクある職や高い給料が求められるチャレンジポジションは
、そこまで頑張って一所懸命になること、要らない。。
私自身が嫌っていた
「平凡で気の小さいおやじ」になって来たと思う今頃です。
という感じになってきた自分に、
洗濯ばさみがくれた
「小さなことへの満悦感と小さな自分の今に感謝する」という良い側面での解釈と
「これでいいのか。明日のために自分を磨くべし。洗濯なんかの時間に勉強をせ!細かく小さいことをそんなに追求したり、それほどのものに満足するな。より今を絞り上げ、我慢もし、今後の社会活躍をより冷静に考えろ」という
批判的な側面での考えが、
交差する昨日の出来事でもあったのです。
小さなものへの感謝・喜びを感じることと
現実に安住する気持ちになるまいとのことに
分別をはっきり付けず
こんがらがっていたのでした。
神は毎日、毎瞬間、十数年前からずーっと
私に分からせようと、
色んな困難な局面を・試練をくださったり、
思いのままに喜びを感じさせたり、自慢の心にもさせたり
ある時は私自身自ら進んだ邪悪な歩みも。。
神が、色々に僕を歩ませたのに。。
いったい、どっちなんだろう。どう生き、どう考えれば良いんだろう。
「人間ちっちゃくても良い。細かいことに。今の自分に感謝を」
なのか
「小さいことにはくにょくにょせず、より大胆でより大きい感謝を感じることを追求すれば。安住してはだめ」
なのか。。
または
別の解釈で、「小さいことにも感謝し、場合に小さくなったりしても、夢はあきらめずに大いに生きる。安住はしない」ことが正解なのか。
『ぶざまな自分の姿。だが、七転八倒するのだ。
何のために生きているのか、正面切って考えろ。
青臭い議論もするのだ。
人生の意義に出会い、天職に出会う、勝ち取る。
その日までチャレンジするのだ。
信じて求め続けるのだ。。
いまや私は十分にオッサンではある。
しかし、かつては不安と迷いを起爆剤に毎日を
もがき闘う日々を送っていたのは、忘れやしたくない』
っと、自分に吹き聞かせる。
さてと。。
洗濯ばさみがくれた、かけらの幸せの真の意味は??
神様が下さる教訓の真偽は?
まだ分からん!
今日、家帰り際にまた考えてみよう。
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