The Tokyo Korean Christian Church in Japan
見知らぬ国での、キリスト者の挑戦
私たちは、何気なく思っています。
「私たちの仕事上の忙しさこそ重要だ」
「人々に必要とされ多忙であることは喜ばしい」
しかし、この世の力は、私たちの心を騒がせばらばらにし、
神様を覚えることから遠ざけようと働いています。
多忙な生活、忙しい仕事、絶え間のない思い煩いは、
この世の闇の力が使ういつもの戦略です。
この世の混乱の中で、
私たちは、神様のみ前から遠ざかり、
やがて私たちは、どこから来てどこへ帰って行くのかを忘れてしまいます。
こうなると私たちは、見知らぬ国の迷い子です。
そして、み国の現実から遠く離れた者とされてしまいます。
私たちの思いと心をいつも主に向け、この世を主を通して見て、理解することが
キリスト者の生涯に渡っての挑戦です。
私たちは、行動することよりも存在することに関わるよう招かれています。
行為よりも、神の子としてのあり方に関わるとゆうことです。
私たちは、気に入った人々の前を歩むことでなく、
神様のみ前を歩むことに心を傾けなければなりません。
私たちは、思いの限りをつくして人間としての仲間に心をつくそうと努力し、
残った力で神様を忘れないように努めているときがあります。
そこまででなくても、人と神様の両方に等しく関心を配ろうとしています。
しかし、イエス様は違いました。
イエス様は、ひたすら神様だけに従われました。
イエス様は、しばしば弟子たちや人々から離れて
天の父との祈りの交わりをもたれました。
「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、
人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」マルコ1.35
イエス様は、その生涯を通して天の父との交わりをすべての生活、活動の中心とされました。
イエス様は、地上での活動の手段として天の父との交わりをもたれたのではありません。
むしろ逆です。
天の父との交わりが、イエス様の活動の核となっていました。
私たちは、この偉大な中心を見落としがちです。
聖書もあまり触れていません。
まるで私たちに悟れと言わんばかりに…。
しかし、これこそがイエス様の生涯の中心、核でした。
祈ることや神様と交わることは、霊的補充とか、活動の修正とか、エネルギーの補給とかとゆう
何かの手段のことでなく、それ自体が私たちキリスト者の最も重要な活動です。
忙しい毎日にあって一見無用とも思えるようなこの時間を取ることは、
私たちの人生の中でみ国の現実に目を開かせみ国の希望を与えてくれます。
大切な人と会うための時間を取るのと同様に、
私たちは、大変切実な思いを持って神様との交わりの時を持つ必要があります。
神様の前に無益な者として立つ祈りは、
私たちの人生のすべての行為や活動に対し優しい微笑みを与えてくれます。
秘密ですが神様は、私のことを一番に愛しておられます。
また神様は、あなたのことを一番に愛しておられます。
そして、すべての人が神様に「一番に愛されている者」として存在しています。
私たちは、人生を「自分の人生」と思っています。
しかし、私たちは、神様の作品であり神様と共に歩んでいるのですから、
私たちの人生は、本当は「神様と私の人生」です。 シャローム
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