The Tokyo Korean Christian Church in Japan
私たちの内なる霊の生活
主が近くに居られるのに分からず、後ろから声をかけられても聞き取れず、横を歩かれても見えません。
私たちは、霊的に鈍いのです。
私たちの霊の目と耳は、エデンの園のあのとき以来、本当に鈍くなってしまいました。
私たちは、イエス様を天の父を「知って」「見て」「信じ」たいのです。
知ることは、見ることであり、見ることは、信じることです。
「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」ヨハネ14:8
そんな私たちにみ霊様は、答えられます。
「こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ」
ヨハネ14:9
み霊様を知った者は、イエス様を見、天の父を知ったのです。
「生まれつき目の見えない人」 ヨハネ9:1~41
福音記者ヨハネは、この事件を今どきの週刊誌記事のように克明に記録しています。
一見ミーハー的興味の記事のように見えますが、
ヨハネが聖書の1章分の長いスペースを費やしたのには深い訳があるように思えます。
ヨハネ福音記は、AD95年頃書かれましたが65年も前のことを昨日見たことのように著しています。
それは、当時働かれていた聖霊様の現実だったからでしょう。
その現実は、今も続いています。
これは、イエス様が通りすがりに起きた事件です。
主ご自身が「生まれつき目の見えない人」を見かけられました。
その時、すかさず弟子の一人が主にたずねました。
「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。
本人ですか。それとも、両親ですか。」ヨハネ9:2
そよ風のように吹いて来た聖霊が私たちに触れられるとき、私たちに事件が起こります。
私たちは、私たちの罪を訴える声にさいなまされます。
「あなたは、これこれの罪を犯した。あなたは、汚れている」と。
「生まれつき目の見えない人」とは、私たちが生きる現実です。
目の見えない人を前にして”いやしの業”は、イエス様の方から働かれました。
「イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。」ヨハネ9:6
ここからすべてが始まりました。
私たちの人生に聖霊が介入されたときから、神と人との人生が動き始めます。
しかし、その時から
彼が言われたとおりシロアムの池で洗って目が見えるようになったときも、
それを見た近所の人が騒ぎだしたときも、
ファリサイ派の人々に事情を調べられたときも、
彼がイエス様を「神のもとから来られた方」と告白していたときも、
その告白を決して曲げずユダヤ人社会から追放されたときも、
イエス様は、彼のそばには、おられませんでした。
彼が始めてイエス様を見たのは、ユダヤ人社会から追放された後でした。
イエス様の方から心配して彼に出会われ「あなたは、わたしを見ている。」と言われました。
イエス様は、彼のそばには居られませんでしたが、彼を見守り続けてくださいました。
彼は、「イエス様に見守り続けられた者」としての自分を知ったのです。
そのとき、彼の心の目は開かれ大きな平安を得ました。
主の不在と臨在の前で私たちは、自分の生き方が立つべきところに立っていないこと気づかされます。
聖霊は、私たちには見えませんが私たちを見守り続けてくださる方です。
2千年前のイエス様のお働きは、今現在の聖霊様のお働きです。
私たちは、「聖霊に見守られ続けている者」として招かれています。
キリストの十字架と復活によって、私たちの天の父への霊的愛がよみがえりました。
私たちは、この最初の愛によってイエス様を知って、見て、信じるものとされたのです。
そして、自分の人生が自分の手の中にあるように生きてきたことを恥じ、
自分を罪人と告白し、イエス様を愛しい「主よ」と告白するのです。
私たちは、自分の人生が「主のみ手の中にあるもの」として納得します。
路を歩くとき、電車に乗るとき、仕事をするとき、友と共にいるとき、
私たちは、聖霊様を見つめた生き方、共に歩む人生へと招かれています。 シャローム
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